-007.夏の思い出-1

夏の思い出

私にとって、蓼科(長野県)で過ごしたことがいちばんの思い出になります。

子どもの頃は、四季を通してお休みの時はいつも過ごしていた場所なので、バカンスという特別感は全くありませんでした。

特に夏休みには、一ヶ月以上も滞在していたので、日常の一部という感じでした。

今から思うと、贅沢な話ですが。

蓼科での生活は、テレビゲームなどの娯楽が無い、自然の中でのシンプルな毎日でした。

午前中は宿題と草むしり、午後はトンボ採りや木いちご摘み、その繰り返しです。

たまのイベントは、両親の友人達や親戚が泊まりに来ることや、山荘仲間達とのバーベキュー、

そして山を下りた町で行われる小さな花火大会くらいのものでした。
兄弟達は、この刺激の少ない田舎生活を退屈に思ったこともあったようですが、

小さい時から自然児だった私は、いつも率先して外遊びに夢中になっていました。

なので、ひとりで山道を散歩に出かける事も少なくありませんでした。

このひとり遊びは、うるさい兄弟たちから離れて静けさを味わうことのできる、夢の時間でもありました。
東京に比べて空気は乾燥しているものの日差しが強い山の気候なので、なるべく木々の合間を歩いて暑さをしのぎながら、

「もし 私が一人っ子で、静かなお城に住むお姫様で」 などと空想し、ただひたすら、山道を歩き続ける時間。

今思い出しても、あの時の草木の匂いやわくわくする気持ちがよみがえります。
空想以外の遊びは、お絵描きでした。気に入った場所を見つけたら、そこに座って何時間でもスケッチをします。

後で、記憶の中の色を再現しながら絵の具で色を塗るのが、家に帰ってからのお楽しみでした。

子どもの頃は、いつも同じ場所で休暇を過ごす事が不満だった時もありましたが、今になって、

自然と自由の中で過ごしたかけがえの無い時間がどんなに貴重なものであったかを実感します。

今、私がアーティストとして創作する上で、インスピレーションの元になるものは、突き詰めると「自然」でしかあり得ません。

それはおそらく、子どもの頃から持ち続けていた、自然に親しむ気持ちや愛情からくるものだと思います。
太陽の熱、風の感触、空の色や、草木の勢いそれらを感じることによって美しい地球の姿を表現したい、

という沸き上がるような思いそのものが創作意欲へと繋がっているのは、その頃の思い出のお陰です。

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アトリエ夏-1


長い夏休みが終わり、新学期が始まってすぐの今回のアトリエのテーマは、『夏の思い出』。
〜子どもって、思い出に浸る生き物なのか?〜
という疑問を持ちつつ始めてみると、意外にも、子どもなりに「浸っている」ことが分かり、面白かったです。
彼らが表現した作品は、砂浜で作ったお城、バカンス先で見たきれいな小鳥、

お休み中に飼い始めたトカゲのお家、海で拾った貝殻の入れ物、その他いろいろ。
作品を作っている最中に一人ずつ回って聞くと、作品そのものより、それにまつわる出来事を、

それぞれ熱〜く語り始めるのでした。
ただきれいな貝殻、なのではなく、僕の思い出を象徴する貝殻。
そんなことが言いたかったのだと思います。

最終回を迎え、何回か来ている子ども達は、慣れて来たからか、作り方のコツも分かって来たようです。
土が乾いたらスポンジで濡らしたり、細かい作業は道具を使ったり、自分で作り方を工夫しながら作っていました。
集中したり、時々おしゃべりしたり、自分のペースを保ちながらみんなで作ることの楽しさもエンジョイしているようでした。

アトリエが終わってからのおやつの時間では、シャンパーニュと花束のプレゼントを頂き、

子ども達みんなでバースデーソングを歌ってくれるというサプライズが!
嬉しくて感激する気持ちと、もうすぐお別れかと淋しく思う気持ち、その両方で、胸が一杯になりました。

次回は本当の最終回、私も思う存分、楽しむぞ!と思ったのでした。

 

 

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 Column by 関美智子/Michiko Seki
フランス在住セラミック作家、アトリエCERAMICHI主催
コンテンポラリーでありながら同時にナチュラルな美しさも表現したセラミック作品を創作
レストランやカフェの器なども手がける
その他、展示会でアート作品を発表
セラミック(陶芸)をベースに様々なクリエイティブ活動を広げている
www.ceramichi.com