-001.はじめに....

昭和48年埼玉の片田舎の開拓地で、農家を営む祖父母+曾祖母、公社勤めの父、農家業手伝いの母、5つ上の姉、4つ上の兄、三世代7人の家族に囲まれ、一家の8人目のメンバーとして生を授かった私。
乳飲み子の頃からの勘の強さは姉の方が飛び抜けていたらしいが、感受性の強さは私の方が圧勝していたらしい。
ちなみに、姉の勘=第六感は血の繋がった私でも時に震えあがるほどのものだ。
 
母は私を妊娠する1年程前に一子、兄か姉か、はたまた私の代わりの存在となる第三子だったか!?...を喪っていて、元々私は存在し得なかったかもしれない人間なのである。
「えーっ!そんなことあるの~!?」・・・と、思わず口に出してしまう母の第三子妊娠の逸話は、またの機会にお話したいと思う。
母がおデブちゃんになったのは、そのせいだとか?ないとか!?
 
そんな事情を知ってか知らぬかこの私、人並み外れた探知能力のある五感センサーを、繊細且つ巧妙に働かせていたことは間違いない。
きっと生まれてこれなかった兄姉の魂がそうさせたのかもしれない。
生命の神秘はそこはかとなく深く尊いものだから。
 
斯して、開拓地という自然豊かな広々とした住環境、昭和の兼業農家、三世代8人大家族の末っ子と言う環境に生を授かった奇跡が、後々、「変わった子・・」「奇抜な子・・」「目立つ子・・」などなど、良い意味でも悪い意味でも喜怒哀楽の激しい子とレッテルを貼られてしまった「ひとゑ流感性」を育んだのである。
 
・・・と、前置きが長くなりましたが、昭和時代の農家、人が集まる大きな家、大家族をキーワードに、そこで育まれる感性と、次世代の子供たちのために残して行きたい環境について、私の実体験をとおしてオモシロおかしくお伝え出来たら幸いです。

column by HITOE
インポートシューズバイヤー兼ショップオーナー
1973年(昭和48年)埼玉県の旧陸軍高萩飛行場跡「旭ヶ丘開拓地」で兼業農家を営む8人大家族の末娘として生まれ育つ
20代は留学経験を活かし翻訳業を中心に派遣社員として働きながら地域の青少年育成のためボランティア活動に従事
27歳で結婚。30歳で起業、現在に至る

同郷の夫+愛犬(黒ラブ♀)と生まれ故郷で二人と一匹暮らし

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コメント: 1
  • #1

    森江 一彰 (月曜日, 20 8月 2012 11:42)

    すっばらしぃ!
    冒頭から期待を持たせてくれる誕生秘話。
    20年近く歳が離れているのに、何故か親近感を持たせてくれる感性の糸口が垣間見えてきました。
    次号に膨らむ期待。
    頑張れ末っ子、昭和っ子。