-013.起き上がりこぼし

生まれる前、私はお腹の中の息子に、毎晩絵本を読んで聞かせ、生まれてからも、目もまともに開いていない息子に、絵本を読み聞かせ、一歳の誕生日、いや毎年の息子の誕生日は、喜びで涙を浮かべている重度の自他共に認める親バカだ。

 

そんな私が歩き始めた息子に「転んでも絶対に手を貸さない。心配そうな顔をしない。大丈夫?と聞かない。」と言うルールを作ったときは、かなり心を鬼にする必要があった。転んだ子供が最初にやるのは、痛みを知覚して、次に親の顔を見ることだ。親が心配そうにして、駆け寄ってくれたら、子供はえーんっ!と泣いて、親にヨシヨシとしてもらうのだ。転んで痛みを知覚して、見上げた親が素知らぬ顔で立ったまま「大丈夫だよ、起きて、手をパンパン」としか言わなければ、子供は「いたたたたた・・・」と自分で痛みを消化して、すぐに手をパンパンとやってまた走り始めるのだ。

 

子供も大人も習慣の生き物だ。悪いことも、良いこともすぐに吸収して習慣化してしまう。転んで泣くのは誰かに助けてもらうための習慣だ。人生では転ぶことなんて日常茶飯事なのだから、一々誰かに助けを求めていては前に進めなくなってしまう。そして助けてしまうのは、親が自分を安心させるための悪い習慣でもある。転んだ息子に走り寄って「大丈夫か?」と言って、抱きかかえたい衝動を抑えてきたのは、私が永遠に息子の側にいて、そう言ってあげることができないからだ。

 

公園に行った時、剣で戦いごっこをしてる時、私たちはずっと走っている。高い所から飛び降り、走り、ついつい調子にのってると、息子は派手に転ぶ。親から見ても、うわっ!あれは痛い!と言うような転び方だ。身体中砂まみれで、顔に、膝や手に擦り傷を作って、「痛いいいい!」と叫んで一瞬泣いても、息子は直ぐに立ち直って、手をパンパンと叩いて、また走り始めるのだ。これを丸3年も続けてきたものだから、最近では父が「おいおい、大丈夫かい?今のは痛かっただろう?」なんて言っても、息子は「イタタタ・・大丈夫、大丈夫」とサラっと言ってまた走り始めるようになった。

 

だから息子は今日も明日も転び続ける。父が、思わず目を背けてしまうような転び方でも、すぐに起き上がってまた走り始める。周りの人たちからは「冷たい父親だな~」と思われるのだろうが、今日も明日も父は心臓ドキドキで心を鬼にして転んだ息子を見ている。

 

起き上がりこぼしは、七転び八起きの精神を持つ。震災でやられても復興への硬い意志を持つ福島県でうまれた縁起物玩具だ。転ぶことを怖れて楽しく遊べるわけはない。転ぶことを怖れてチャレンジできるわけがない。そうそう、倒れても、何度でも何度でも起き上がって走るんだ。泣いてる時間は勿体無いよ。

 

Column by LIGHTWOOD/ライトウッド
IT 業界の会社を経営しつつ、現在4歳になったばかりの息子の父で
どんな事でも創造する楽しさを教えたいと奮闘中
なるべくデジタル玩具から遠ざけたいと考える父と
父の寝てる間にiPhoneを使いこなすデジタル・ネイティブな4歳の息子との闘いが日々続いている