半世紀も生きてきて最近同世代の方や、私よりも年配の主にお父さん達から「もっと子供との時間を取っておけば良かった」なんて言葉を聞くようになった。
私の父はとても厳格な大正生まれ。私との年の差は55年以上。書斎に呼び出されて怒られる時以外、これと言った会話をすることもあまりなかった。仕事一徹な父は、子供が目覚めてる時間帯に在宅してることも滅多になかった。父にとって私はワケのわからない宇宙人で、私にとって父はさながら映画1984に出てくる体制側の人間だった。私が確か5才くらいのある日、書斎に呼び出された私は、また怒られるのかと重苦しい気持ちで父の日本間に入って行った。すると、父の部屋のテーブルの上に、電話帳くらいのサイズの、木のマッチで作った立派なログハウスが置いてあった。こっちに来い、と言われて、父の側でログハウスの構造や、開閉できるドアや窓、内部の精巧に作られた暖炉や、小さなテーブルや椅子や棚など、私は時間を忘れて見入った。それは素晴らしい作品で、素晴らしい時間だった。また別なある日、部屋に呼び出されると、イーゼルに大きなカンバスが据え付けられていて、お地蔵様を描いてみろと言われて、私は一生懸命に横一列にお地蔵様を数体描いた。父は車の運転が滅法荒い人で、何度も死にそうな目にあったが、間一髪の後はいつもワハハハハと笑う人だった。私は早々に家を出て、家にはあまり寄り付かず、私が31才の時に父は死んだ。
親にとって子供は、共通言語が無くなるとワケのわからない宇宙人になってしまう。共通言語とは共に過ごす時間によって作られる。だから、子供が「ウサギさんが、こう、逆さまに、あーっ!ってなってるヤツどうした?」と言うような言い方をしても、「あー、ソレならベッドサイドにあるよ」なんて分かってあげられる。一緒に時間を過ごしてない人には何を言ってるのか分からない。分かってあげないと泣いたりして、適当に玩具やお菓子でごまかすと、もっと傷ついたりする。コミュニケーションできない宇宙人だ。しかし「わかるようにちゃんと言いなさい」と言って、言える子供はいないのだ。成長すればと考えても、子供は親に対しては永遠に「ウサギさんが、こう、逆さまに、あーっ!ってなってるヤツどうした?」こんな表現しかできないものだ。
息子は毎朝、父の部屋に駆け込んできて父を叩き起こす。おはようの挨拶とキスをし、季節のフルーツを食べ、オモチャ棚からミニカーを1つ1つ出して並べ始める。途中朝ごはんをタップリ食べ、またミニカーを並べに戻って行く。そこではしょっちゅう「パパ~みみほりほりどーした?」とか、「青いのやつのマックがないの」とか、そんなやり取りが飛び交うのだ。
先日、UNIQLOから届いた荷物のダンボールを眺めていて、以前から作ると約束していた消防署を作ってあげることにした。息子は作ってる間中、何が出来るのかと、父に話しかけたり、お手伝いしようとしたり、作りかけの消防署にペイント(落書き)したり、花の蜜を運ぶ蜂さながら私の周りをブンブン飛び回っていた。そして完成した消防署は2人の共同作品として、息子の朝の日課に、なくてはならない物としてすぐに組み込まれた。
さて、父の死後、母から渡したい物があると、一枚の立派な額に入れられた絵画を受け取った。それは、昔々、私が父に言われて描いたお地蔵様の絵だった。驚 いたことに、私のつたない絵は、父が描き加えた蓮や背景によって一枚の絵として完成され額に入れられていた。それは一生に一度だけ、私と父が作った共同作 品だった。[写真3]絵を眺めながら、よくわかんないと思っていた父は、実は自分はソックリだったんじゃないか?厳格だと思っていた父は、実は子供っぽい 人だったんじゃないか?やることなすこと私にソックリな息子を見ながら、もっと父と仲良くなりたかったなと、その時そう思ったことを思い出していたら、背 中にドスンと息子に乗りかかられた。「パパ、遊ぼうよ!」
Column by LIGHTWOOD/ライトウッド
IT 業界の会社を経営しつつ、現在3才になったばかりの息子の父で
どんな事でも創造する楽しさを教えたいと奮闘中
なるべくデジタル玩具から遠ざけたいと考える父と
父の寝てる間にiPhoneを使いこなすデジタル・ネイティブな3才の息子との闘いが日々続いている
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koa さん (土曜日, 07 1月 2012 02:32)
初めまして、このページを開いた瞬間に目の前に飛び込んできた"家族の絵"に思わずわぁーっと声と笑みがこぼれました。2012年、久々の日本で迎えるお正月にちょっぴり幸せを分けていただいた気分です。ライトウッドさんの絵にお父様が描き加え完成した素敵な一枚。とても素敵なお父様ですね。私も子供の頃、お菓子の家をつくるのだと父の大好きなビスケットをダンボールで組み立てた家(ちょうど写真にある)にテープでペタペタと貼り付け母に怒られたものです。父は大好きなビスケットのお家だね、と私を叱ることも無かったですね。その父も私が25才の時に他界、ふっとその思い出が昨日のことのように浮かびました。素敵な一日が始まりそうです、ありがとう。