-008.仁義なき闘い! オキナワマミーVSドーター抗争勃発!!

最近、娘の目がいっている(笑)。オキナワとスカイプすると、大概マミーと娘がケンカしているのだ。まさにバトル実況中継を見ているようである。娘が反抗期を迎えたこともあるが、負けずギライな似たもの同士で、ともに女性(偏見ではないですよ)ということもあり、お互い一切譲らない。マミーがガーッと言えば、娘は「マミーなんか大キライ!!」とマミーのカラダをプッシュする。するとマミーは娘を抱え、「1回プッシュしたらハンムラビ法典で3回返しだもんね!!」とかいって、お尻を3回叩いている。娘はくやしくて、泣きはじめる。パピーが娘に助け船を出すと、マミーは「しつけしてんだから、余計な口は出さないでよ!!」とか言って、ドアをバタンと締めてカメラから消え失せる。パピーはヒクヒクしてなにも言わない娘を見ながら、これはいかんなーと思う。ちなみにハンムラビ法典の「目には目を」から、“やられたらやりかえせ”という意味で知り合いのママたちも言っているようだが、じつは逆で本来は「倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ(参考:ウキペディア)」ものですよー。おまちがいなく、ハンムラビ(笑)。

 

親子抗争(というかマミーの怒り)の原因は至って単純なことだ。例えば食べるのが遅い。タイムアウト(、いわゆる日本の小学校でいう“廊下に立っていなさい”)が増えた。アフタークラスでホームワークをやって来ない。ウソをつくなど。しかし、単純だがもしかすると、ことは重大なのである。“食べるのが遅い”でいえば、もしかしたら食べる事が楽しいことから義務に変わってしまっているからかも知れない。食べることが楽しくないかもしれない。そうなるとコドモは末期的であるといっていい。食べるという基本的行為が義務になった時点で、かなりマズイ。食べるは人間にとって、とても大切な行為だからだ。

そんなことをインナーマザー(責めつづけるこころの中の「お母さん」)と格闘する、アラフォーママのドキュメンタリーを観た後だったこともあり、「まぁまぁ、ほどほどに」なんてマミーに言ったもんだから、こむずかしいことをいいやがって、頭カテーよと怒りを買った。距離があると、じつはなかなかジレったくてツライものなんです。そこにパピーとして、存在できないもんで……。娘の逃げ道として機能していない自分がなさけなく感じちゃう。パピーはマミーにしつけは一任しているので、エラそうなこといえないけど……。

そんなことが何回かあって、ウソについてマミーがドアの向こうに消えた後に娘に聞いてみた。
「なんでウソをつくの?」
「だって、だって、マミーがコワイいんだもん。怒りんぼでちょー」
「じゃ、マミーがキライなの?」
「ううん、マミーはだいすき」
「そうか。じゃ、つらいときはパピーに電話するんだよ」
「うん、わかった」
マミーに嫌われないように必死な5歳の娘の姿は痛々しい。そりゃ、そうだ。二人しかいないんだから。コドモにとって、マミーに嫌われたりおいてけぼりにされることほど、おそれているものはないハズだ。大人のことばは、思う以上にコドモにはキツイ。自分の感覚の6掛け程度でコドモに話すぐらいのサジ加減がいいのではないかと思っている。トップダウン感覚の持ち主ならなおさらだ。しつけということと、小言をいうことはまったく持って違うことだから。

 

娘が起こしている事態はマミーにとっては、いわゆる嫌悪刺激事態だ。そうすると「なんでキチンとできないの。ちゃんとしなさい」という嫌悪的言及反応とし ての小言となる。これは娘にとっては嫌悪的な刺激となる。小言に対し娘がその通りにすればマミーにとっては非嫌悪的になるが、反抗期の娘はそうはいかな い、逃避や回避、攻撃として反応し、これはマミーにとってまた嫌悪刺激になる。こうして、どうどうめぐりの円環に陥るわけである。
ここから脱出する方法はこうだ。行動分析学の重鎮はこう言っている。
「お母さん、小言をやめて、ほめなさい」
なるほどね。これが正解とは限らないが、悪循環を断ち切る方策として考えてみるのはアリだ。

娘にコドモケータイを買ってあげようとか考えている。オキナワにもなるべく多くいった方がいいだろう。だが、経済状況がそれをなかなか許してくれない。逆単身パピーの悩みは尽きない。いやはや。。。

column by 細村剛太郎/Hosomura Gotaro
アメリカ、ヨーロッパ、アジアなどを放浪後、出版社にて雑誌・書籍編集者として勤務
退社後、フリーランスとしてメンズ雑誌、広告、ウェブマガジンなどで活動
十数年前、ユルい空気に誘われ東京から湘南に移住し、波と戯れる
家族の沖縄移住を機会に、いい年こいて某大学院文化科学研究科に在籍
新メディアを研究中
5歳の女の子のパパである