-019.母の日にじんわりと実感した、嫁入り先での家族の絆

嫁入り先での家族の絆をつくるのは、表面上は打ち解けているようでも、実は難しいものである。実のお母さんでもない人を、ある日突然お義母さんと呼び慕わなければならない。これは、半強制的に起こる現象だから、受け入れないわけにはいかない。義母にとっての嫁の存在もまたしかりである。

 

私の義母は、もちろんフランス人なのだが、出会った頃から「とてもいい人で誰にでも優しいんだよ」と彼に聞かされていた通り、飾らない感じのいい人だった。それでも女同士、職場と同様、気を使いあわないとうまく回るものではない。でも、結婚前に日本からフランスに行った時、私は彼に言われるままに10日程義母の家でお世話になってしまったが、そこでも年越し用にご馳走を用意してくれたりと、快く出迎えてくれた。そしてご縁があって結婚することになり、妊娠5カ月目で本格渡仏になった時、義母の家で2カ月もお世話になることになった。一度本コラム内でもご紹介したが、食べづわりがひどく、15キロ以上も太った私は、毎日だるく部屋でごろごろしていた。田舎なので、得にすることもないし、一人で外出するととても心配されたので、あまり出歩けなかった。それでも、朝仕事へ行く義母は、昼も夜も毎日欠かさずご飯を作ってくれ、当時12歳だった義弟と一緒によく面倒を見てくれた。2カ月後、自分たちのアパートが見つかり、隣町に引っ越してからは会う機会もぐんと減り、それと共に自分の「城」を持ったような、家のことを自分が仕切っていいような感覚が嬉しく思えたのを覚えてる。

 

2カ月の同居中、親子げんか(義母と義弟)も夫婦げんか(私と旦那)も見せ合い、いつ何時も一緒に暮らしていた者同士が突然離れ、お互いの敷居をまたぐ感覚が芽生え、それは義母との極度に近かった距離をぐんと離していった気がする。

 

それから娘も誕生し、娘のためにフルに時間を割き、フルに疲れ果てる毎日。たまに義母も家に寄るが、娘のあるべき時間通りに動きたい私は、時々それに疲れてしまうことも正直あった。なにせ、義母は完全なラテン系で、活発だとは言え真面目気質の私とは少々トーンが異なる。音楽はジャズやクラシックではなく、ミュージックダンスが好きな59歳なのだ。

 

一度離れた距離は、なかなか埋まらなくなる。だからといって、義母はとてもいい人で、それと同時にとても人の心の動きに敏感。私が心から楽しんでいないと、それを察知して距離を置こうとしてくれる。それが逆に申し訳なくて、、ということの繰り返しだった。

 

でも、友達と食事をした後クラブで一夜を明かすというプランがあった彼女の誕生日に(フランス人は自分の誕生日を必ず盛大に祝う)、義弟を預かったり、彼女のプレゼントを用意しておいたりしたことをきっかけに、だんだん以前のような距離がまた戻ってくることになる。それは、私が子育てのリズムに慣れ、ストレスも以前程なくなった時期でもある。だから義弟の面倒も見ることができるし、思春期の悩みも旦那と一緒に聞いて相談にのることもできる。義母とだけでは埋められない義弟の悩みを受け止めるのは、兄の仕事であると同時に私の役割にもなってくる。そしてこれは、義母にとって一人で子育ての悩みを抱えることから解放され、心が楽になることでもある。

 

そして母の日にはっとすることが起こる。
フランスの母の日は、日本よりも少し時期が遅いのだが、義母の家に久しぶりに行く約束をしていた。当日、お花屋さんで大きなブーケを買い、気持ちばかりのプレゼントを携えていくととても喜んでくれた。ところが、義母が「私もサプライズがあるの」と、キッチンからさらに2倍程大きなブーケを私にプレゼントしてくれた。「これは結婚記念日(丁度母の日の前日だった)と母の日のプレゼント」と、私にまで母の日の贈り物。そこには、結婚式の朝に私に贈ってくれたブーケのお花も入っており、「思い出のすみれの花も入っているの」と入れておいてくれたのだ。感動のあまり、今こうして冷静に書いていると、距離が近くなったり、離れたり、また距離が縮んでたまにうとましくも思ったり、時に友達のように接したりのアップダウンのあった今までの義母との歴史を思い、後悔の念にさいなまれて涙が出てくるのだ。

 

普段はけんかも良くする(少々楽しみながら)私と旦那ではあるが、この人は優しい義母が大切にしている息子なのだ、と思うと、100歩譲って優しくできるように思えてくる。なんだかんだ、私たちにとって大きな海のような心で接してくれる義母。(三好達治の詩で、「海(la mer)の中に母(la mère)がいる。母の中に海がある。」というものがあるが、ほんとうにその通りだと感じる。)普段は彼女のラテン系の気質にふりまわされて疲れてしまうこともあるものの、私は、人一倍人の気持ちに敏感で心優しい義母に、何ができるだろうか。近過ぎず遠過ぎず、いい距離を保ちながら連絡をまめにする。これが、家族の絆を持つということなのかもしれない。たとえ姿格好が似ても似つかない、義理の親子だったとしても。

column by 下野真緒/Shimono Mao
1977年東京生まれ
南西フランス在住ジャーナリスト
女性ファッション誌で編集に携わった後、2009年南仏&パリへ留学
2010年6月にフランス人と結婚。新人ママの道、激進中!
「MYLOHAS」海外ロハスニュース、「GLAM」ファッショニスタほか

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コメント: 2
  • #1

    わんわん (木曜日, 05 7月 2012 06:50)

    はじめまして。
    エッセイを読みながらなんだか自分と義母のことのように思えて、じーんとしました。
    私も迷いながら、喜びながら、失望しながら、鬱陶しくも思いながら今は義母と適度な距離でこまめに連絡しています。気付けば私も3人の母。大きな海になれるでしょうか?
    普段憎くてたまらない夫でも(!)彼を愛して育ててくれた人を想い出せば、つまらないジョークに付き合ってあげられそう。笑

  • #2

    mao (木曜日, 05 7月 2012 10:30)

    こんにちは。メッセージありがとうございました。
    家族として行動するのに、一方で礼儀もわきまえないと、という義母との関係は、近くにいると難しいものですよね。
    既に三人もの母というだけで、尊敬してしまいますが、三人にとっては既に海のような場所になってるはずです!

    私も毎日憎らしいと思うことが多々ありますが、このコラムに誓って(?)水に流していくよう努めますよ 笑。