-007.フランスできみを産む<前編>


 新婚の私たちは日常の忙しさにかまけ、新居に引っ越して以来2カ月の間、整理ダンスのない生活をしていた。段ボールやパニエに冬物は入れっぱなし、子供部屋は物置き状態。遊びに来た友人が「こんな部屋に産まれてくるなんて可哀想・・・」と言う程。
ある土曜日、旦那の重たい腰と臨月の重たいお腹を持ち上げ、やっとのことで近所の大型ストアにタンス(組み立て式)を買いにいく。ちなみにそのタンスを買うまでは、お腹の子に「まだ出てこないでね、産後は動きがとれなくなるからタンスを買った後ね」としきりに話しかけていた。
 そして翌早朝5時のできごと。
水がヒューッと漏れる気配で目が覚め、破水だ、とピンとくる。寝るつい3時間前、「お腹が重いしこれ以上太るのもいやだから早くでてきてね。もうタンスも買ったから、明日か明後日には」とお腹の子に彼と話しかけたばかりだったのだ。お腹の子に話すと伝わるというのは本当なのだ。  
 病院について二時間後、ついに陣痛らしきものが始まったので、出産講座で習った呼吸法に変えてみる。「痛みは続くものではない」という知識を思い出し、痛みが去るのを時間を計りながら待つ。陣痛は、本当にある一定時間しか続かないのだ。痛みで目をつぶると、何故かまだ見たことのない赤ちゃんの顔が何度かちらつくのが不思議だった。
 私は妊娠している間、「早く赤ちゃんに会いたい」と彼が言うと、心から共感できなかった。
子育て経験はないし、自分に子供が産まれるという心の準備をするよりも、産後の家具の配置や食事の準備や家事の心配ばかりをしていた。しかし、破水していよいよ、という段階になると、初めて「早く赤ちゃんに会いたい!」と、感動で胸がいっぱいになった。
 
 移った個室の窓からは、薄暗い秋も深まりつつある明け方の空に陽が昇ってゆくのが見える。彼がベッドの隣の椅子でウトウトしている。陣痛が去ると、あたりはしんと静まり返っていた。
こうして昼に近づきつつある頃には、陣痛の感覚が10分置きになったり5分置きになったり。しかしそんな中でも「昼食です。廊下まで選びに来れますか?」と言われると、移動ビュッフェのところまで歩いて行ってたっぷりと肉やデセールを注文して完食。フランスのマタニティ食って、結構豪華!なんて喜んで、写真を撮ったり東京の姉に電話してみたり。陣痛が一度去るとケロッと元気になるのだ。
しかし大分たった頃には、あまりの痛さに目を開けていられなくなり、ついに看護婦さんを呼ぶことに。
 「機械で陣痛の感覚を計ってみますね」と、胎児の心拍の聞こえる器具をとりつけ、記録用のサーモグラフィーがとりつけられる。10分後、戻って来た看護婦さんが、「残念ながら、これはまだ陣痛じゃないみたい。何にもサーモグラフィーに映らない。陣痛を促すために、ちょっと散歩してきてらっしゃい。でも、まさか街へはいかないでね。この前セールにいっちゃった妊婦さんがいたのよ(笑)」とあっさり言う。私も彼も顔を見合わせて、「それならこの痛みは何?」と大分疑問に思いながら散歩の準備。5分毎に痛みがきたらどこに寄りかかればいいのだろう、とヒヤヒヤしていた。しかし、念のために助産婦さんが触診すると、「子宮口がもう3㎝開いてるよ。痛かったでしょう。よくがんばったわね。陣痛がきているから無痛分娩の麻酔の準備をしましょう」とのこと。やはり、これぞ陣痛。こんなに痛いのに散歩なんかしている場合ではないではないか!どうやら機械が壊れていたか、とりつけた場所が悪かったよう。しかしさすがは助産婦さん!「最後に頼りになるのは旦那よりも何よりも助産婦さん」、と出産した誰もが言うけれど、本当に彼女だけが心強い存在になった。陣痛を乗り切る間、ヨガをやるようなポジションになって赤ちゃんが出やすいようにゆっくり動くとよいなど教えてくれて、やっと痛みの先にある光らしきものが見えるのだった。

.......................→後編につづく

column by 下野真緒/Shimono Mao
1977年東京生まれ
女性ファッション誌で編集に携わった後、2009年南仏&パリへ留学
フリーランスエディターを続ける傍ら、2010年6月にフランス人と結婚
南仏ピレネー近郊に住む。現在出産を控え、新人ママへの道まっしぐら!