-012.オモチャの記憶

12月は区切りの月だ。1年の最後の月で、1年の煤を払う年であり、X'masパーティーとプレゼントがあり、そして息子の誕生日の月でもある。

我が家では、息子が生まれてから毎年12月に、玩具の整理をする。あまり玩具を買わない家だが、手作りで創る玩具は沢山あるから、毎年毎年玩具は増えていく。高価な玩具なら遊ばなくなったらリサイクルして、またどこかの家庭に使ってもらえるが、我が家の玩具は創作玩具である。だからどこかのタイミングで、遊ばなくなったものは捨てるのだ。それが毎年、息子の誕生日を控えた数週間前に行われる。

さてさて、恒例の玩具を捨てる日がやってきた。まずは分別。「これは要る?要らない?」もちろん、そんな問いかけに返ってくる答えは「え、要るよ。だって、だって、ぼく、まだ遊んでるんだもん。」こんな感じ。しかし、それでは整理にならないので、シッカリ話し合って、捨てるもの、クローゼットに仕舞うもの、まだ遊んでるものを分別していく。

今年は父にとっても、息子にとっても思い出深いものとのお別れだった。

ひとつ目は、3枚の簀の子(すのこ)。息子が生まれてベビーベッドのマットの下に敷くために購入したものだ。その後、秘密基地のドアになったり、壁に立てかけて階段になったり、室内アスレチックの橋になったり、4年もの間絶えることなく息子の玩具として活躍してきた簀の子だが、流石に息子の重さに耐えられなくなり、割れたり板が外れたりし始め、危険でもあるためバラして捨てることにした。

ふたつ目は、機関車トーマスの手押し車。息子が初めて歩いたときに彼を支えた手押し車だ。歩くのに何不自由なくなってから一時期あまり遊ばなくなったのだが、後ろにカゴを付けてからというもの、これもまた数ヶ月前まで常に息子の遊びと行動を共にしてきた。椅子の下、後ろのカゴの中にはいつもいつも息子の大切な物が沢山入っていた。しかし、この数ヶ月で急激に大きくなった息子には流石にもうこの手押し車は小さく、大人が三輪車にまたがってるような構図になってしまっていた。だから、この手押し車はクローゼットの奥に仕舞い込まれリサイクルだ。

息子は簀の子をバラす間も、手押し車の中の玩具を片付ける間も、珍しく無言で、時折手押し車の取っ手の部分を撫でたりしていた。そして、トーマスの手押し車を、自分のお掃除セットで掃除をし始めた。とても胸の締め付けられる光景だった。大きくなるということは、捨てるものを選択し、持って行くものを選択する行為でもあるのだ。実は毎年父の方が「捨てなくて良いんじゃない?」と考えそうになる。でもそれは過去にしがみつく行為だ。息子の明るい未来を祝う月と、未来の年を迎える月にこそ相応しい行事だ。それに誕生日とX'masはすぐそこなのだから、また君にぴったりの玩具がすぐにやってくる。また来年まで、楽しい楽しい玩具達をまた溜め込むとしようじゃないか。

Column by LIGHTWOOD/ライトウッド
IT 業界の会社を経営しつつ、現在4歳になったばかりの息子の父で
どんな事でも創造する楽しさを教えたいと奮闘中
なるべくデジタル玩具から遠ざけたいと考える父と
父の寝てる間にiPhoneを使いこなすデジタル・ネイティブな4歳の息子との闘いが日々続いている