-009.魔の産後三週間。やってきたマタニティブルー!

出産した日の夜。何かがしっくりこず、おかしい。
暗闇の中、横たわりながら左を見ると、新生児ベッドに赤ちゃんがいる。
何もしゃべらず、動きもしないその光景が、突如無機質なものに感じられる。
疲れきった身体と、まだ出産の興奮も冷めやまぬ頭。そこに、言葉にならない漠然とした不安で、
ぐらりと世界が揺れる感覚。いきなり襲って来たこのおかしな感情は、
マタニティブルーの始まりだったのかも知れない。

出産直後から、母子共に母乳の訓練。泣き叫ぶ程痛いけれど、小さな小さな赤ちゃんは何も知らずに必死で母乳を飲もうとする。だからこちらも懸命にその痛みに耐える。さらに、自分の意志でも生理的都合でもなく、夜1時間半置きに起きて、赤ちゃんの泣き声にどぎまぎしながらも、苦痛な授乳を繰り返す。出産の疲れも解消しないまま、慣れない生活サイクルに、いきなり責任と愛情をもって規則的に対応しなければならない。「はい、今からお母さんよ」と、ずっしりと重たい命を受け渡され、右往左往してしまうのは当然のことだろう。今思えば、マタニティブルー、なんて一般的に広まった言葉が症状となって現れるのも無理はない。なんにせよ、疲れがとれずにまた疲れが重なるだけの日々が続くのだから。私はこれを、ブルーなのではなく、乗り越えることが決められているマタニティ修行なのだと思う。

退院が決まると、何故か彼が私に念を押すように繰り返す。
「病院から家に帰って赤ちゃんとふたりになると、自分自身を見失ってふさぎこむ母親が多いらしいから、何か元気がないとか不安だとかあったら、必ず言うようにね」と。
実感が湧かない私は生返事だけしていたけれど、彼の不安は的中。彼が仕事に出ている間、何だか憂鬱でたまらない。まず、今まで普通にできていた洗濯も、掃除、食事の準備も、身体中がまだ痛くてできない。手伝ってくれる家族もここにはいない。部屋は無秩序に荒れているのに、彼にお願いしても私が思うようにはできない。それだけでストレスやイライラがマックスになる。赤ちゃんは一時間半おきに起きては泣き、空腹の末やっとありつけた食事も、落ち着いて食べることができない。こんな調子で24時間、いつ泣かれるかと構え続け、ストレスと疲れで精神的にも肉体的にも参ってしまった。そして拷問に近い痛みを伴いながらの授乳の時間は、その度にやってくる。こうして、妊娠中何かを蓄えるかのようにブクブクと15kg近く増えていた体重も、2週間で一気に10kgも落ちていった。

こんな不安定な時期には、彼との口論も繰り返された。というより、一方的に私が怒っていた。その度に、「君はまだ、お母さんになる準備ができていないんだね」と言われる。すると、私は自分を否定されたような気になって、落ち込むのである。
口論と同時に、この時期に新たな感情に気付きもした。彼と喧嘩をしたまま赤ちゃんと2人でいると、心細くて涙が出てくるのだ。もはや彼とは単なるカップルなのではなく、3人でひとつのユニット、家族なのだ。私たち3人は、欠けてはならぬ存在。どんな時も力を合わせあう。だから、意地をはったりしてもいいことはない。これはきっと、赤ちゃんが教えてくれたことで(もしかしたら赤ちゃんの感情が伝わって来たのかも知れない)、マタニティ修行のひとつなのかも知れない。「ママ、下手に喧嘩しないでね。悲しいから」と。

家事のストレスや身体の不調も大変だったけれど、何よりも赤ちゃんを寝かせることは、当初難関で重大な仕事のように感じられた。もはや自分達の生死に関わる、ぐらい大げさに考えずにはいられない程、睡眠不足でヘトヘトなのだ。
自分達の寝室に赤ちゃんのベッドを移動するものの、授乳後にベッドへ戻そうとすると目をバチッとあけて泣き出す。するとまた初めから授乳して寝かしつけてのやり直しで、ぐったり感が重なってゆく。そこでベッドへの移動を諦め、ダブルベッドでそのまま3人で川の字になって眠ることにする。しかし、赤ちゃんに気を使い過ぎ毛布を肩までかけられないし、深く眠れない。そこで川の字睡眠は1週間で断念。次の手段は、授乳後に眠った赤ちゃんを起こさないよう毎回ベッドをそおっと脱出し、サロンのカナペをベッドにして避難するように眠ること。こうすることで、やっと彼との対話の時間ができ、以前の生活が舞い戻ってくるようでリラックスできもした。赤ちゃんは大きなダブルベッドの真ん中にドテンとひとりで眠り、私たちは小さなカナペで身を小さくして眠る・・・。滑稽な光景である。

そんな時、お見舞いにきてくれた日本人のママ友達が、カラッと笑ってひと言。「なんだそれ。やりすぎだよ!ベッドで寝ようよ、普通に」と。すると、それもそうだよね、と急に気持ちが楽になっていくのを感じた。私は必死になりすぎて、赤ちゃんを腫れものに触るかのように扱い過ぎていたことに気付く。さらに、彼女は言う。「泣く度に授乳をしていたらきりがない。赤ちゃんは泣くのも仕事。泣かせっぱなしでも構わないこともある」と。フランスでは、赤ちゃんを1時間、人によっては2時間泣かせっぱなしにする育児方法があるそう。オムツやミルク、寒暖の調整さえしっかりできていれば、泣くのは赤ちゃんの仕事と割り切るのだ。そうしないと、お母さんが家事などやるべきことができなくなったり、乳首も傷んだりと、精神的にも参ってしまうからだ。この友人のアドバイスで、私の気持ちはスッと楽になり、一カ月目には潔く、赤ちゃんの部屋へベビーベッドを移し、1人睡眠デビューをさせることができた。

この魔の三週間、「いつまでこんなにツライことが続くの」か、と泣き言ばかり言っていた。彼はただならぬ調子でふさぎ込む私を心配して、たった一時間の昼休みも会社と家を往復し、一緒にご飯を食べてくれた。慣れない家事も一生懸命やって、彼も10キロ近くやせ細った。泣き言ばかり言う私に、「お母さんになる準備ができていないんだね」と何度も言っていた彼。それをこの上なく悔しいと思っていた私。それがいつの間にか、こう思えるようになった。
「出産した直後から、急転直下、誰もが母親らしくなれるわけではない。母親になることは、日々の積み重ね。いつの間にか、みんな母親の顔になっていくもの」。
こう思えた時、魔の三週間はいつの間にか終わっていて、マタニティブルーもぐんと軽くなったように思う。
友人が、「ツライことは長くは続かないものなんだよ」と言っていたけれど、本当にその通り。今となっては、喉が乾き過ぎて必死にミルクを飲んでいる赤ちゃんを見る度に、「可愛い、可愛い」とニコニコし過ぎ、しまいには目尻が下がりきって涙が出てくる。
コックと呼ばれるチャイルドシートを、知らずに前後逆に取り付けていたりと、無知ゆえの危うさは時々あるけれど。
私は、もうすでに、お母さんになっていた。

column by 下野真緒/Shimono Mao
1977年東京生まれ
女性ファッション誌で編集に携わった後、2009年南仏&パリへ留学
フリーランスエディターを続ける傍ら、2010年6月にフランス人と結婚
南仏ピレネー近郊に住む。新人ママの道、激進中!